新島襄旧宅

徳川政権の統治について疑問をもっていた新島襄は藩の許可を得て北海道に渡り、そこから脱国して米国に向かいました。

そこで米国の人たちに認められたり、岩倉使節団の通訳になったりして、彼はキリスト教の布教の為に帰国しました。

安中、板倉家では明治になって江戸詰めの藩士達約100名の住居を碓氷川沿いに設けましたが、新島家もその内の一軒でした。

日本に帰国した新島襄はそこに3ヶ月程滞在して、布教活動をしたりして過ごしました。

この建物を保存するに当たり、百メートル程離れた所からこの場所に移築されました。
長屋だった茅葺き屋根の主屋部分と、石置き板葺き屋根の炊事場部分。
ここに移築するに当たり、新島家の住居であった長屋に資料室を増築してひとつ屋根になりました。
裏側からの様子
石置き屋根が気になります。
板葺き屋根の中は炊事場になっています。
食事もここで摂っていたのでしょうか?
玄関から通り土間と座敷への上がり框。
座敷は奥と下の二間になります。
縁側の軒下の様子
奥の間の床の間
当時は庭には野菜が植っていたのでしょうか?

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