街道をゆく東海道藤川宿

東海道37番目の宿場藤川宿

歌川広重 藤川棒鼻ノ図
藤川宿は西大平、あの大岡越前守忠相を初代とする。大岡家一万石が治めた地でした。

せっかくなので大岡忠相の石像でも良かったのではと思うのですが、所領はここにあっても忠相は江戸を離れることはありませんでした。

早速に街道の建物がお出迎えしてくれました。
裸電球に牛乳入れ欄干もいい感じです。
名古屋でいう閑所、参河では何というのでしょう?
関山神社の参道

境内は奥の山上にあります。

ちょうど紫蘭が花盛りでした。
脇本陣跡
道路元標がありました。
繊維を取って麻縄、網袋などを作りました。
本陣の石垣。

こちら側は街道の裏側に当たります。通行人からは見えませんが、まるでお城のように立派な石積みです。

東海道に沿って名鉄電車が疾走しています。
本陣から見る関山神社と一畑山薬師寺
こちらが本陣の入り口に当たります。
井戸
銭屋
二階部分の両側に袖壁が設えられています。

この形は東海エリアに広く分布する形です。

徳川時代末期のお米屋だった建物です。卯建と格子戸が格式を伝えています。
現在もリノベーションされて活用されています。
銭屋、米屋の向かいに建つ建物。

ここが藤川宿の面影がよく残っている場所でしょうか。

特徴的な建物が目を引く人形屋さんの建物。
人形屋さんの横は路地になっています。
人形屋さんの裏側です。
この辺りはこの赤っぽい石が多用されているようです。
明星院のイヌマキの生垣
立派な木を見つけて近寄ります。
夫婦槇というそうで本尊と一緒に山から移植されました。

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