茅葺屋根の建物

東海道

東海道丸子宿 丁子屋

街道の元宿場には往時をしのぶ安藤広重の絵が掲げられていたりしますが,ここ丸子宿では広重の描いた構図そのままに、この令和の世に残されていました。 広重の描く東海道の絵図の中では比較的知られている丸子宿の絵図。 背景の山、茅葺屋根と木立、手前に...
茅葺屋根の建物

青木家屋敷

町田街道から少し離れた場所に大きな茅葺き屋根の建物がありました。こちらの建物の前の道がもしかしたら旧町田街道になるのでしょうか? 大きな屋根が現在の街道からでもよく分かります。 敷地に入って撮影するには許可が必要のようです。時節柄、その許可...
武家屋敷

安中藩武家屋敷郡奉行役宅

藩主板倉勝明の側近、山田三川の住まいでしたが、その後猪狩幾右衛門懐忠の屋敷となりました。両者共に郡奉行を勤めました。建築年代ははっきりしませんが、幕末期だったようです。 長屋門 台所の立札の奥の小部屋は使用人の部屋です。ぎりぎり横になれる狭...
茅葺屋根の建物

甲州名主の茅葺き屋根 旧平田家住宅

甲斐甲州街道から入った所に建っていた、戦国期の建築とも言われる古い古民家です。 元の建物は東向きに、修験道信仰の篤い金峰山を向いて建てられていました。家主さんのご意向で移築後も東向きの配置となっています。 奥の玄関は家人が利用する為の出入口...
武家屋敷

安中 板倉家武家長屋

安中藩の中下級武士の住居がありました。 手前の囲いの中に瓶を置いて、中の流しからの排水を受けていたのですね。 玄関から入って直ぐの通り土間。 天井は剥き出しの梁でした。 手前の座敷から流しへ。 通り土間から座敷を見たところ。手前と奥に二間あ...
茅葺屋根の建物

新島襄旧宅

徳川政権の統治について疑問をもっていた新島襄は藩の許可を得て北海道に渡り、そこから脱国して米国に向かいました。 そこで米国の人たちに認められたり、岩倉使節団の通訳になったりして、彼はキリスト教の布教の為に帰国しました。 安中、板倉家では明治...
茅葺屋根の建物

板葺屋根の古民家 旧黒澤家住宅

その古民家は上州と信州との国境、十国峠に向かう十石街道沿いにありました。 屋根は石置き板葺き屋根でした。 置き石はまるで鱗のごとくびっしりと敷き詰めてあります。 建物の一階と二階の幅、奥行きは同じサイズのようです。 妻側は破風、棟、懸魚、シ...